黒石城跡(黒石市)
2009年 11月 12日
が。その分家・黒石津軽家の陣屋跡の「御幸公園」を紹介します。
黒石陣屋跡は、旧市民文化会館や中央スポーツ館の敷地、馬場跡が現在の御幸公園。

≪歴史≫
1656(明暦2)年、津軽藩4代藩主・信政の後見役となったのが叔父にあたる津軽信英(のぶふさ)。
5千石を分知されて黒石津軽家が成立しました。
1808(文化5)年、蝦夷地警備の働きにより弘前の津軽藩が10万石に昇格。
翌年、黒石津軽家も1万石に昇格し、黒石藩が誕生しましたv( ´∀` )v
※蝦夷地警備(=北方警備)の話は、「珈琲の街ひろさき」の紹介ブログで少し。
御幸公園は、黒石ねぷたまつりの時にねぷたの集合場所にもなります。

約70台ものねぷたが待機するんですよ。
圧巻!!です。
小学生の頃、ねぷたの運行前に、おじいちゃんにねだってアイスやらジュースやら買ってもらって、
運行中に「トイレさ行ぎてぇ(ノω・、)」と言ってバタバタしたことも、今では懐かしい思ひ出。
この日は、ゲートボールをする元気な爺ちゃん婆ちゃんで賑わってました。
空堀の跡がわかります。


堀で囲まれた蝦夷館。空堀に渡してある、赤い橋を通ります。
石垣もキレイに残されているようです。

岩木山を眺めるには、桜の木などにさえぎられてしまいますw
ベンチがあり少し高台になっているので、散歩の休憩にはいいかも。


実はこの高台の下にある割烹料亭「富士見館」に行ってみたいな、とずっと想っているのですが、なかなかw
割烹って、なかなか縁がなくって。でも、ランチなら2,000円くらいかららしいので、奮発すれば行けそうだけど(笑)
HPで見る雰囲気が素敵なので、憧れています◎


高台にはいくつかの石碑などがあります。
その中の一つ。黒石出身の秋田雨雀の歌碑。


「みつばちの 巣ばこにわれは 耳あてて はるかにも聞く 春のおとずれ 雨雀」
耳で聴く、春の訪れ。素敵(ノω`*)
城壁が黒かったことから、烏城(うじょう)の異名があるそうです。
黒=烏(カラス)ってこと。
学生の時の黒石のスポーツ大会も「烏城杯」とかあったし、黒石の焼き物にも「烏城焼」とかありますもんね。
そういうことか、なるほど。そういうことだったのねって、今になって知ること多々。
黒石藩の分地である平内・夏泊半島周辺や群馬太田市はご存知だと
思いますが、温泉や焼きそばつながりで10数年前発信させました。
そろそろ、新しい発信が必要になりましたね。
それで烏城焼きなんだぁ~語源が分からなかったんだわ!
昔の地名だとばかり思ってた!
流石、地元だもんね~明るいねぇ~!
でも御幸公園の中にこんな広場とかいろんなものがあるんですかね?
これまた知らんかったわ!
今度、ゆっくり見に行こうと思ってました!
赤字財政でしばらく暗ぁ~いイメージでしたが、最近は「つゆ焼きそば」で有名になりましたね、黒石も。
「つゆ焼きそば」は実はあまり馴染みがないのですが、街が賑わって嬉しい~(^_‐)☆









